農業と私~気ままな農婦の日記~

農家に嫁いだ嫁のきままな日記です

あれよあれよ人生は続く

という間に、2月がおわり

 

今日はお雛祭り

 

さて、この頃悪いくせが出ております。

 

後回しにしてしまう。バソコン作業

 

ついつい、子どもとおしゃべりしてついつい、テレビを見て、ついつい、寝てしまう・・・

 

これぞ仕事ができない人である・・・

 

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ところでね。

 

3月1日は1番上の子の高校卒業式だった

 

めでたい。とうとうここまで育ってくれた。

 

感謝と希望の卒業式

 

1番上の子は男の子として産まれてきてくれた

 

でも3歳くらいから女の子のスカート履いて喜んでいたらしく(私は気が付かなかった)

 

男の子のオモチャはあまり喜んでいなかったかも

 

だから私はわざと男言葉を使ったり(笑)

男の子ってこういうもんだよって荒くしてみたり(笑)

 

クラスメイトにいじめられてるって思ったらそこからイジメになるので

 

そうなる前に

私がオカマっていっていじめたり。

 

小学生時代はやっぱり「オカマ」と差別的言葉でいじられて、

 

泣く泣く帰ってきた時もあったなー

 

今思えば私はひどい母だった。

 

中学の時は、友達が必要で

 

友達に何とか受け入れてほしくてもがいていたな。

 

スマホが無いと友達がいなくなる

 

とか、お金が無いと友達と遊べないとかね

 

きっと存在出来る場所を探していたんだろうな。承認欲求?

 

私はひどい母親だった。

 

いじめられるかもしれない・・・を前提に子育てしてきたから。

 

だって発達障害で言葉の発達に遅れがありますって言われて

 

コミュニケーションが苦手で友達とトラブルあったり、その上女の子のしぐさしてたら絶対何かおきるって思い込んでいたんだもの。

 

今はでもさ。

 

18年間必死に育てて、私が死んでも1人で生活出来る子になれるように、少しの人でもいいから好かれる子になるように、あらゆる壁を乗り越えられるように・・・

 

私に出来ることはやったと言える。

 

本人が1番辛かったと思うけどね。

 

 

 

そして迎えた卒業式。

 

あの子は母がよその親達から白い目で見られないようにと卒業式に出るのをやめた。

 

だけど、担任の先生が校長室でクラスメイトとだけで式をやらないかと言ってくれたので、最初は嫌がっていたけど、出席することに決めて

式が終わった校長室へ向かった。

 

私はきっとクラスメイトも数人くらいが来てくれるものだと思っていた。

 

だけど、玄関に入るやいなや

 

クラスメイト全員が出迎えてくれ

校長室での卒業式に参列してくれたのだ。

 

本当に嬉しい時間だった。

 

みんなが涙を流してくれて、卒業を喜んでくれた。

 

この子はこんなにみんなに受け入れられていたと思うと感無量。言葉にならなかった。

 

素晴らしい子どもたち

 

素晴らしい我が子

 

素晴らしい先生方

 

私達は恵まれていた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった

 

 

 

 

私はダメな母親だった。

 

けど、

 

私が出来ることは全てやった。

 

悩みつづけ

 

泣いた日なんて数知れず

 

私がいつか死んでも

 

この子はきっと大丈夫だと

 

信じられる子に育ってくれた。

 

ありがとう。

 

 

 

私達人間として産まれてきたからには

 

楽しくて

 

幸せで

 

嬉しくて・・・

 

でも時に

 

悩んで

 

悲しくて

 

辛くて

 

どうしようもない時もある

 

そんな時は時間が経つのをじーっと待って

 

でもまた乗り越えて生きていって

 

そしてまた楽しく元気にいきる

 

それが人生

 

それが人間

 

最後の時まで

 

楽しく感謝しながら私は死にたい